本文へスキップ

高野山真言宗 金光明四天王護国之寺 醫王山 飛騨国分寺

TEL. 0577-32-1395

〒506-0007 岐阜県高山市総和町1-83

寺院のご案内ABOUT

境内地図


国分寺本堂(国指定重要文化財)


単層入母屋造、銅板葺、四方廻縁
桁行12.4メートル、梁間8.66メートル、向拝3.33メートル
 奈良時代の創建当時には、七重塔、金堂、仁王門などを備えた壮大な伽藍があったと伝わっています。『類聚国史』に「弘仁十年(819)八月飛騨国分寺災」とあり、その後近世まで記録がありません。昭和29年(1954)の本堂の解体修理により、建築様式と手法は室町時代中期以前、正面向拝と東側は安土桃山時代の修理であることがわかりました。向拝などは金森氏が国分寺の再興を援助した際の大修理と考えられます。地下45センチには、南北4間、東西7間の金堂と推定される建物の礎石が確認されました。
 建物の柱、垂木、構造材には太い木材が用いられています。外陣の虹梁は絵様がなく、板蟇股の断面も逆バチ型で室町期の様式を示しています。
(日本遺産構成文化財)

日本遺産 飛騨匠の技・こころ-木とともに、今に引き継ぐ1300年-

■本堂拝観
受付時間 午前9時~午後4時
定休日 12月31日~1月1日
大人
(高校生以上)
500円
(30名以上の団体は400円)
小人
 (小・中学生)
400円
(30名以上の団体は300円)
※本堂の内部と内陣の仏さまを拝観いただけます。
本尊薬師如来(国指定重要文化財)

像高1.55メートル、檜材一木造、平安時代(12世紀)
 伝行基菩薩一刀三礼の御作。光背と蓮台は正徳5年(1715)のもの。 全体に均整がとれていて、天平的写実性が見られます。特筆すべきは、右手の指がやや太く、掌が暖かく感じられ、拝する者を惹きつけて放さないことです。穏やかな御顔と優しい御手は、何度拝んでも飽きることがありません。
 薬師如来は、正式には「薬師瑠璃光如来」といい、東方の浄瑠璃世界を治める、国土と国民を守護する護国の仏さまです。医薬を司り、別名「医王(いおう)」ともいいます。左手には薬壷(やっこ)を持ち、右手は「安心しなさい」という意味の施無畏(せむい)印をしています。衆生のあらゆる病を治し、安楽を与えるとされ、病気の治療だけでなく、心身の健康、長寿、除災、子授け、安産、乳授け、子育てなどの信仰があります。


聖観世音菩薩(国指定重要文化財)

像高2.0メートル、檜材一木割矧(わりはぎ)造、平安時代(12世紀)
 伝春日仏師の御作。旧飛騨国分尼寺の本尊。国分尼寺は平安時代末期頃に衰退し、現在は辻ヶ森三社(高山市岡本町)となっています。天正年間(1573-1592)に、当山中興1世玄海法印によって辻ヶ森観音堂(現辻ヶ森三社)から移されたと伝わっています。
 当初は彩色が施されたお姿であったと考えられますが、現在は塗料が剥がれ落ち、わずかに口元に朱色が残っているだけです。月輪を背に、蓮台に立ち、左手には未敷蓮華(蓮のつぼみ)を持ち、右手はその花を開こうとする勢いの手印をなしています。抜苦与楽の大慈大悲の眼差しで人々を見つめています。
飛騨三十三観音霊場第1番の観音さまです。


阿弥陀如来(岐阜県指定重要文化財)

像高60センチ、榧(かや)材寄木造、平安時代(12世紀)
 伝恵心僧都の御作。上品下生印(じょうぼんげしょういん)を結んでいる阿弥陀如来ですが、両手首は後から付け加えられたものであることから、元は別の仏像であったとも言われています。
 大きな螺髪、太い首、短い胴体、丸みを帯びた肩など、全体の印象は定朝(じょうちょう)様式の先駆をなしています。蓮台は平成18年5月に木村光秀仏師により新たに制作されました。
 阿弥陀如来は、西方の極楽浄土を治めており、その寿命が無限であることから無量寿如来(アミターユス)、またその光が無限に十方世界を照らすことから無量光如来(アミターバ)とも呼ばれています。


弁財天(円空上人作)

像高1.0メートル、江戸時代
 頭上の正面に化仏(けぶつ)があると見て観音像とされたこともありますが、髪を肩に垂らし、両肩を覆う布、正面中央に下端がとがる帯状の布を着け、沓(くつ)をはくので女神像とみられます。衣文が丁寧に刻まれています。

円空(1632~1695)
 美濃国(現岐阜県)出生の天台僧、仏師。遊行僧として全国を行脚し、生涯に12万体もの「円空仏」と呼ばれる木彫りの仏像や神像を制作しました。鉈(なた)を上から下に振り下ろす(はつる)ことによって、力強い躍動感を与える独自の作風は「鉈ばつり」と呼ばれています。貞享2年(1685)頃、飛騨に滞在し、多くの円空仏を残しました。


如意輪観音

寄木造、玉眼、江戸時代
 伝旧松泰寺(現飛騨東照宮)本尊。如意輪観音とは、観音菩薩が様々な姿に変身する一つであり、六観音(聖観音・千手・馬頭・十一面・准胝・如意輪)の一尊として数えられています。「如意」は意のままに智慧や福徳もたらす如意宝珠、「輪」は煩悩を打ち砕く法輪(仏法の象徴)を指しています。6本の腕を持ち、如意宝珠と法輪を持っています。片膝を立て、肘を膝に乗せ、指先を頬にあてる思惟(しゆい)の姿は、人々を救う方法を深く考えている様子をあらわしています。


飛騨匠木鶴大明神像 及び 版木(高山市民俗文化財)

 木鶴大明神(もっかくだいみょうじん)は、平安時代に活躍した飛騨の伝説的な匠「韓志和(からのしわ)」といわれています。
 諸説ありますが、自作の木鶴に乗って唐へ渡り、皇帝穆宗に仕え、見事な彫刻の技を見せたといわれています。 この像は、左甚五郎作と伝えられ、江戸時代頃から飛騨の大工たちの守り神として、国分寺境内の「木鶴堂(匠堂)」に安置されるようになり、現在は本堂に祀られています。
 寛政7年(1795)には、国分寺の本尊薬師如来とともに、この像が江戸へ運ばれ、本所回向院で60日間の出開帳が行われ、この際に、像の版木が制作されました。
(日本遺産構成文化財)

藤原宗安像(非公開)

 伝鎌倉時代作。藤原宗安(ふじわらのむねやす)は、鎌倉末期から室町時代の名工で、職人として最高の「飛騨権守(ごんのかみ)」の地位を受けました。
 郡上市白鳥の長瀧寺大講堂や、山県市東深瀬の白山神社拝殿(国重文)を建てたことでも知られています。 近世の飛騨の大工たちは宗安を飛騨匠の祖として崇敬し、正月になると宗安の肖像に神酒などを供えていたと伝わっています。
(日本遺産構成文化財)

不動明王(岐阜県指定重要文化財)

像高1.12メートル、台座20センチ、檜材寄木造
 台座裏の漆書によると、本像は飛騨国高山藩6代藩主である金森頼旹(1669-1736)の母、庭樹院が建立した旧松泰寺(現飛騨東照宮)にありましたが、明治の神仏分離により松泰寺が廃寺となった際、当寺に移され、護摩堂の本尊として安置されました。通常、不動明王は左手を曲げて構える姿が多く見られますが、本像は左手を垂らして羂索(けんさく)を持っています。
 不動明王とは、大日如来の化身として、忿怒(ふんぬ)の形相をして、迷える人々を正しい道に導く仏さまです。左手の羂索によって人々の煩悩を縛り、右手の智剣によって煩悩を断ち切ります。

飛騨国分寺塔跡(国指定史跡)


 飛騨国分寺は、天平13年(741)の詔により天平勝宝9年(757)頃までには完成していたとされ、本堂東側の塔心礎石は創建当時のものと推定されています。
 礎石の形状はほぼ方形を呈し、上面に円柱座を造り出径し、その中央部に円形の穴があけられています。礎石の寸法は、径約2メートル四方、地上高さ約1メートル、円柱座径133センチ、高さ1センチ、円穴径58センチ、深さ29センチで、ほぞ穴式心礎です。石質は地元で「松倉石」と呼称している流紋岩です。
(日本遺産構成文化財)


国分寺三重塔(岐阜県指定重要文化財)


屋根銅平板葺、桁行・梁間4.24メートル、高さ22メートル(礎石上端より宝珠上端まで)
 天平13年(741)の詔勅によって建立された塔は、弘仁10年(819)に炎上し、斉衡元年(854)頃に再建されましたが、応永年間(1394-1428)に兵火にかかったと伝えられています。その後再建されましたが、天正13年(1585)金森長近が松倉城の姉小路頼綱(三木自綱)を攻めた際に損傷し、元和元年(1615)になって金森可重が三重塔を再建したと三福寺小池家文書「国分寺太平釘図」に記録されています。
 現在の塔は、寛政3年(1791)の大風で吹き倒されてから31年後、庶民の喜捨浄財金800両と大工手間5500人工をかけて、文政4年(1821)ようやく竣工を見たものです。棟梁は三代目水間相模でした。昭和53年(1978)には、屋根の修理と自動火災報知設備、保護柵の設置を行いました。屋根は建立当初柿葺でしたが、大正11年(1922)に桟瓦銅平葺に変更され、昭和53年には銅平板葺となりました。
 飛騨では唯一の塔建築で、金剛界と胎蔵界の大日如来(真言密教の中心仏)を安置しています。
(日本遺産構成文化財)


国分寺表門 附棟札(高山市指定有形文化財)


四脚門、二重柿軒付、銅板葺
桁行3.09メートル、梁間1.303メートル
 元文4年8月、飛騨代官長谷川忠崇の手代小林儀右衛門ら4人の寄進によって、飛騨の名工松田太右衛門が建てました。
 冠木上に架せられた板蟇股や腕木の繰形は、この地方中期の好例を残しており、形態も美しい造形となっています。当初は基壇がなく、地表面上に建てられていましたが、保存のため基壇が設けられました。昭和53年(1978)にはのし板葺であった屋根も現在の銅板葺に改められました。
(日本遺産構成文化財)

棟札(2枚)
①棟木の下端西側に元文4年(1739)8月の創建棟札、大工松田太右衛門、葺屋冨田喜兵衛、内山傳四郎
②棟木の下端東側に享和3年(1803)の葺替棟札、葺師前原平蔵


国分寺鐘楼門(高山市指定有形文化財)


重層入母屋造六脚門、銅平板葺
桁行3.045メートル、梁間2.4メートル
 建築年代は安土桃山時代(16世紀)とされています。屋根はもと柿葺でしたが、昭和30年(1955)に銅板葺となりました。屋根の軒は一軒疎垂木、妻は木連格子。上層は円柱で、簡素で力強い組物をもち、勾欄を廻し、下層は角柱6本で、それぞれに面取りがあります。

梵鐘(高山市指定有形文化財)
 梵鐘には、永正11年(1514)の古銘があり、もとは吉城郡荒城郷三日町(現国府町三日町)の十王堂の鐘でした。宝暦11年(1761)、大萱村横山作助が、改鋳して当山に寄進しました。
 国分寺の晩鐘は飛州八景の随一として、「国分霊地絶繊塵 雁塔今経幾許春 好是楼前視聴楽 暮鐘声裡月清新」(国分寺の境内は古びた三重塔がそびえ静かである。暮れゆけば鐘が鳴りわたり、月影清く美しい)と歌われました。


六地蔵


 約250年前、当山中興12世尭英法印(-1784)が万人講を組織し、六地蔵を造立したと伝えられています。また一説には、明和3年(1766)に桐生町万人講より移置されたともいわれています。
 六地蔵とは、地蔵菩薩が、私たちが生まれ変わりを繰り返す(輪廻)とされる6つの世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)を救済するためにそれぞれ姿を変えたものです。 六地蔵の名称は経典によって様々あり、またそのお姿は合掌のほか、蓮華、錫杖、香炉、幢、数珠、宝珠などを持ち物としますが、必ずしも統一されていません。


<六地蔵と六道>
①檀 陀(金剛願)地蔵 「地獄道(罪を償わせるための世界)」
②宝 珠(金剛宝)地蔵 「餓鬼道(餓鬼の世界)」
③宝 印(金剛悲)地蔵 「畜生道(牛馬など畜生の世界)」
④持 地(金剛幢)地蔵 「修羅道(阿修羅の住む世界)」
⑤除蓋障(放光王)地蔵 「人 道(人間が住む世界)」
⑥日 光(預天賀)地蔵 「天 道(天部の神々が住む世界)」


年中行事


毎月
8日 本尊薬師如来供(八日薬師) 
13:30~(本堂)
21日 弘法大師 御影供
13:30~(大師堂)
28日 不動明王 護摩供
13:30~(護摩堂)

2月3日 節分星祭り
2月8日 針供養
3月21日 弘法大師正御影供
5月8日 本尊薬師如来供
8月1日 三重塔 大日如来供
11月16日 大聖歓喜天供 阿弥陀如来供

 修正会
 12月31日午前零時  除夜心経会 金光明最勝王経
1月1日午前10時 大日如来供
1月1日午後2時 弘法大師供
1月2日午前10時 本尊薬師如来供
1月2日午後2時 聖観世音菩薩供
1月3日午前10時 不動明王護摩供
1月3日午後2時 大黒天供


飛騨国分寺年表

飛騨國國分寺年表(白川藤太郎編)【PDF】

こちらは昭和5年(1930)白川藤太郎氏が作成した飛騨国分寺年表のPDFデータです。
昭和5年以降は、当山中興23世康央現住職が追記しました。

※年代やその他の情報は、欠落や誤記がある可能性があります。
 有識の方のご指摘やご訂正をお待ちしております。

<飛騨国分寺 略年表>
天平13年(741) 聖武天皇の勅願により、全国約60ヶ所に国分僧寺と国分尼寺が建立される
天平18年~天平宝字元年(746-757)頃飛騨国分寺創建、七重塔建立、大イチョウ植樹
弘仁10年(819)火災により堂宇焼失
斉衡元年(854) 頃五重塔再建
応永年間(1394-1427)火災などにより堂宇焼失か
室町時代(1336-1573)中期以前 現本堂(国重文)再建
天正13年(1585)金森長近と姉小路頼綱(三木自綱)の兵火により堂宇一部焼失
天正15年(1587)金森長近が当寺に玄海和尚(-1625)を招き中興させる
慶長7年(1602)金森可重が伝平家重宝小烏丸太刀(国重文)を寄進
元和元年(1615)三重塔再建
貞享2年(1685)頃円空(1632-1695)が飛騨千光寺に滞在、飛騨全土に多くの円空仏を残す
宝永元年(1704) 青面金剛童子を安置(庚申堂)
享保11年(1726) 聖徳太子像を造立(本堂)、伝大仏師法橋一運
元文4年(1739) 表門(市有形文化財)再建、名工松田太右衞門
明和3年(1766) 桐生萬人講より六地蔵を移置か
天明5年(1785) 庫裡出火焼失
寛政3年(1791) 大風により三重塔が倒壊
文政4年(1821) 現三重塔(県重文)再建、棟梁3代目水間相模
文政5年(1822) 客殿庫裡再建
元治元年(1864) 大黒天を安置(大師堂)
明治元年(1868) 神仏分離令、天満宮と稲荷社を飛騨東照宮へ、琴平社を桜山八幡宮へ移転
大正15年(1926) 護摩堂建立、庫裡修築
昭和26年~29年(1951-1954) 本堂解体修理

文豪坂口安吾が心奪われた薬師座像と観音立像


「美しいなア」私は思わず叫び声をあげて見とれた。まったく、叫んで、見とれるだけの仏像である。

この仏像は全然無言で、自分を補足するような一ツの言葉もないのです。余分な、ナマな観念が一ツもありません。その美しさに見とれるだけでタクサン。

 坂口安吾(1906-1955)は、随筆「飛騨の顔」(1951)で、当山の本尊薬師如来と聖観世音菩薩に深く魅了され、「これこそはヒダのタクミという以外に作者の個有の名を失った伝統があって、はじめて生れてくるような名作である。」と絶賛しました。

坂口安吾「飛騨の顔」
青空文庫へのリンク

全国の国分寺と国分尼寺


国分僧寺 所在地 国分尼寺 所在地
 ■総国分寺
東大寺
奈良県奈良市  ■総国分尼寺
法華寺
奈良県奈良市
 ●畿内
1 山城国分寺 京都府木津川市 山城国分尼寺 京都府木津川市
2 大和国分寺 奈良県奈良市 大和国分尼寺 奈良県奈良市
3 河内国分寺 大阪府柏原市 河内国分尼寺 大阪府柏原市
4 和泉国分寺 大阪府和泉市 和泉国分尼寺 (未詳)
5 摂津国分寺 大阪府大阪市 摂津国分尼寺 大阪府大阪市
 ●東海道
6 伊賀国分寺 三重県伊賀市 伊賀国分尼寺 三重県伊賀市
7 伊勢国分寺 三重県鈴鹿市 伊勢国分尼寺 三重県鈴鹿市
8 志摩国分寺 三重県志摩市 志摩国分尼寺 (未詳)
9 尾張国分寺 愛知県稲沢市 尾張国分尼寺 愛知県稲沢市
10 三河国分寺 愛知県豊川市 三河国分尼寺 愛知県豊川市
11 遠江国分寺 静岡県磐田市 遠江国分尼寺 (未詳)
12 駿河国分寺 (推)静岡県静岡市 駿河国分尼寺 (未詳)
13 伊豆国分寺 静岡県三島市泉町 伊豆国分尼寺 静岡県三島市
14 甲斐国分寺 山梨県笛吹市 甲斐国分尼寺 山梨県笛吹市
15 相模国分寺 神奈川県海老名市 相模国分尼寺 神奈川県海老名市
16 武蔵国分寺 東京都国分寺市 武蔵国分尼寺 東京都国分寺市
17 安房国分寺 千葉県館山市 安房国分尼寺 (未詳)
18 上総国分寺 千葉県市原市 上総国分尼寺 千葉県市原市
19 下総国分寺 千葉県市川市 下総国分尼寺 千葉県市川市国分
20 常陸国分寺 茨城県石岡市 常陸国分尼寺 茨城県石岡市若松
 ●東山道
21 近江国分寺 (推)滋賀県甲賀市
(推)滋賀県大津市
(推)大津市光が丘町
近江国分尼寺 (未詳)
22 美濃国分寺 岐阜県大垣市 美濃国分尼寺 (推)岐阜県不破郡垂井町
23 飛騨国分寺 岐阜県高山市総和町 飛騨国分尼寺 岐阜県高山市
(辻ヶ森三社)
24 信濃国分寺 長野県上田市国分 信濃国分尼寺 長野県上田市
25 上野国分寺 群馬県高崎市東国分 上野国分尼寺 群馬県高崎市
26 下野国分寺 栃木県下野市国分寺 下野国分尼寺 栃木県下野市
27 陸奥国分寺 宮城県仙台市 陸奥国分尼寺 宮城県仙台市
28 出羽国分寺 (推)山形県酒田市
(推)山形県鶴岡市
出羽国分尼寺 (未詳)
 ●北陸道
29 若狭国分寺 福井県小浜市国分 若狭国分尼寺 (未詳)
30 越前国分寺 (未詳) 越前国分尼寺 (未詳)
31 加賀国分寺 (推)石川県小松市 加賀国分尼寺 (未詳)
32 能登国分寺 石川県七尾市 能登国分尼寺 (未詳)
33 越中国分寺 富山県高岡市 越中国分尼寺 (未詳)
34 越後国分寺 (推)新潟県上越市 越後国分尼寺 (未詳)
35 佐渡国分寺 新潟県佐渡市 佐渡国分尼寺 (未詳)
 ●山陰道
36 丹波国分寺 京都府亀岡市 丹波国分尼寺 京都府亀岡市
37 丹後国分寺 京都府宮津市 丹後国分尼寺 (未詳)
38 但馬国分寺 兵庫県豊岡市 但馬国分尼寺 兵庫県豊岡市
39 因幡国分寺 鳥取県鳥取市 因幡国分尼寺 (推)鳥取県鳥取市
40 伯耆国分寺 鳥取県倉吉市 伯耆国分尼寺 (推)鳥取県倉吉市
41 出雲国分寺 島根県松江市 出雲国分尼寺 島根県松江市竹矢町
42 石見国分寺 島根県浜田市 石見国分尼寺 島根県浜田市国分町
43 隠岐国分寺 島根県隠岐郡隠岐の島町 隠岐国分尼寺 島根県隠岐郡隠岐の島町
 ●山陽道
44 播磨国分寺 兵庫県姫路市 播磨国分尼寺 兵庫県姫路市
45 美作国分寺 岡山県津山市 美作国分尼寺 岡山県津山市
46 備前国分寺 岡山県赤磐市 備前国分尼寺 (推)岡山県赤磐市
47 備中国分寺 岡山県総社市 備中国分尼寺 岡山県総社市上林
48 備後国分寺 広島県福山市 備後国分尼寺 (推)広島県福山市
49 安芸国分寺 広島県東広島市 安芸国分尼寺 (推)広島県東広島市
50 周防国分寺 山口県防府市 周防国分尼寺 山口県防府市国分寺町
51 長門国分寺 山口県下関市 長門国分尼寺 (推)山口県下関市
 ●南海道
52 紀伊国分寺 和歌山県紀の川市 紀伊国分尼寺 (推)和歌山県岩出市
53 淡路国分寺 兵庫県南あわじ市 淡路国分尼寺 (推)兵庫県南あわじ市
54 阿波国分寺 徳島県徳島市 阿波国分尼寺 徳島県名西郡石井町
55 讃岐国分寺 香川県高松市 讃岐国分尼寺 香川県高松市
56 伊予国分寺 愛媛県今治市 伊予国分尼寺 (推)愛媛県今治市
57 土佐国分寺 高知県南国市 土佐国分尼寺 (未詳)
 ●西海道
58 筑前国分寺 福岡県太宰府市 筑前国分尼寺 福岡県太宰府市
59 筑後国分寺 福岡県久留米市 筑後国分尼寺 (推)福岡県久留米市
60 豊前国分寺 福岡県京都郡みやこ町 豊前国分尼寺 (推)福岡県京都郡みやこ町
61 豊後国分寺 大分県大分市国分 豊後国分尼寺 (推)大分県大分市
62 肥前国分寺 佐賀県佐賀市 肥前国分尼寺 佐賀県佐賀市
63 肥後国分寺 熊本県熊本市 肥後国分尼寺 熊本県熊本市
64 日向国分寺 宮崎県西都市 日向国分尼寺 宮崎県西都市
65 大隅国分寺 鹿児島県霧島市 大隅国分尼寺 (未詳)
66 薩摩国分寺 鹿児島県薩摩川内市 薩摩国分尼寺 (推)鹿児島県薩摩川内市
67 壱岐島分寺 長崎県壱岐市 壱岐島分尼寺 (未詳)
68 対馬島分寺 長崎県対馬市 対馬島分尼寺 (未詳)

醫王山 飛騨国分寺

〒506-0007
岐阜県高山市総和町1-83

TEL 0577-32-1395

■毎月の法会
・ 8日 本尊薬師如来供
 13:30~(本堂)

・21日 弘法大師 御影供
 13:30~(大師堂)

・28日 不動明王 護摩供
 13:30~(護摩堂)